葛城古道の神社・仏閣(1)
春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞおもう (11,2453)柿本人麻呂
・・・家の辺り 吾が立ち見れば 青旗の 葛城山に たなびける 白雲隠り 天ざかる・・・
(4,509) 丹比真人笠麻呂筑紫君に下りし時、作れる歌・より
沿
革 ・ 遺 跡 ・ 文 化 財 |
御所(ごせ)市は、大和平野の西南端に位置し、大和の国が出来上がる前から早くも 原始的な国家をかたちづくっていたことは、市内各所で出土している土器、石器、銅鐸、 はにわ遺構などによって明らかです。 なかでも鴨都波遺跡は、今からおよそ2000年前の弥生式時代、私たちの祖先がここ に住居をかまえ、農耕をして大和西南部の古代文化圏を形成していた名残りです。 下って戦国時代の慶長5年頃から商工業の町として発展し、絞り油、大和絣、製薬と 配置売薬の発祥地として知られています。 文化は、優れた自然美と水に恵まれた生活の適地に開けていくといわれますが、こ の大和の地、御所市にもっとも早くから文化が開けたのは、この条件がそなわっていた からです。 それを如実に示しているのが市内に数多く残る遺跡で、中でも有名な鴨都波遺跡、 名柄から出土した銅鐸、銅鏡、室の大墓(宮山古墳)の遺構や出土した数々のはにわ、 など、価値ある財産といえます。 この貴重な文化財を、いつまでも大切に残し、後世に伝えることはわれわれの使命 なのです。 「御所のすがた」より |
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六
地 蔵 石 仏
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近鉄御所駅から西へ2km程の葛城古道
の始まりである。左に(南方角)曲がって 九品寺へ行ける。 |
九
品 寺 参 道 |
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寺伝 行基が聖武天皇の勅を奉じ巡錫の砌、天平年間当地に留まり、草庵を結び、民衆を教化した。 これが本寺の起こりで、のち空海が行基の遺跡を尋ね、当地に戒那千坊を創始した。 降って永禄年間(室町時代末)弘誓が浄土宗に改宗し今日に及んだと言う。 |
山 門 |
境内の参道(千躰地蔵まで) |
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九品寺までは近鉄御所駅か ら約2.9Kmのみちのりです。 |
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住職屋敷の鈴なりの柿 |
門前横の駐車場にある燈籠 |
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近
辺
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秋には彼岸花が一帯に咲き 乱れている。 景色は田舎風の色水で空気も新鮮味あふれて申し分の無い散策コースである。 |
「番水の塔:とき水のとう」時間を決めて水路の堰を切りかえる。 |
参道の彼岸花 | ||
一
言 主 神 社 |
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一言主神社へは駅からの距離3.7kmの地点に存在します。 神社の周りは水田の田畑で、 四季の移り変わりが楽しめる。
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神社参道のわき道の彼岸花 | 樹齢1300年の銀杏の木 |
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葛城古道の紹介
リンク → 御所市立葛上中学:葛城古道の道